カエルの色眼鏡‐2ch創価板のログをまとめたり考察したり‐

世の中のカルト的なあれこれについて考えます。たぶん。

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臨時記事

こちらでも、呼びかけておきますね。

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「対話を求めて」コメント主の皆さん。
よければ下記の資料屋さんのブログでやりとりしませんか?

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もちろんやりとりはどなたでも歓迎ですし、ここや私の掲示板への書き込みもご遠慮なくどうぞ。

新年あけましておめでとうございます。

記事更新が滞りがちで、毎度の遅筆申し訳ありません。

isweb無料ホームページサービス終了に伴う「希望の風」閉鎖で、此方のブログに移行したのが昨年でした。
皆さま、新年を期にどうぞ改めて宜しくお願い致します。

年末に丁度脱会スレの新スレも立てたのですが、何故か未だにザクの記事が好評でした。(笑)

続編かぁ……でもあのザク、ゲームセンターの景品だった完成品に、御本尊の画像貼り付けただけだしなぁ……。
自分で作って塗装したガンプラじゃないから、オリジナルMSの制作を期待されると難しいかも。汗

“憲法上の政教分離原則”と“創価学会”と“政教一致問題”

創価学会に関連してよく話題になる「政教分離」について考えてみたいと思います。
以下は法律ヲタさんの御厚意により『希望の風』掲示板の社会 時事問題スレに
転載させて頂いていた2chの過去ログを、ここに再転載したものです。

□■□社会 時事問題☆総合雑談スレ□■□

非常に分かり易く、また優れたご考察をまとめて下さってますので宜しくご参照下さい。

----------

【政教分離】創価学会と公明党2【政教一致】
>550 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2005/09/02(金) 08:23:02 ID:???
>法規範というものは、基本的にはそれを生み出す何らかの社会的背景・必要性が
>存在するから定められるものと言えます。
>しかし、仮に規制が必要だとしても、必ずしも社会における法的規制の必要性を
>すべてを満たす形で法が規定されるとは限りません。
>その例としては様々なものがあるのですが、例えば、いわゆるストーカー規制などを
>あげる事ができるでしょう。
>憲法上の政教分離原則も同様だと思います。
>それを生み出す歴史的経過・当時の社会的状況というものが存在します。
>
>今、各国様々なその具体的な歴史状況を一応捨象し、政教分離原則が生まれた
>背景を模式的に考えますと、政治(王権)と一部の宗教(宗派)との何らかの結託が
>あり、それが他の宗教(宗派)にとって自己の信仰の妨げとなったから要求された
>ものと考えることができると思います。
>日本においても、これは同様でした。
>戦前の神道と国家の結託が様々な宗教的弾圧を生み、更には単に宗教上の自由の
>抑圧を越えて精神的自由に対する幅広い弾圧に結び付いたと言えましょう。

>551 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2005/09/02(金) 08:23:58 ID:???
>そして、実際に採用された具体的な政教分離の形は各国の歴史的・社会的・宗教的
>背景により様々ですが、請求分離を要求した側からすれば、政治と結託した宗教・宗派
>が特権的地位を有し他の宗教・宗派に抑圧を加えた事に対する抵抗・反省・抑制で
>あり、自由の保障を図ったと言う構図で捉える事ができるでしょう。
>
>このような中で、確かに法的(憲法的)規範としての政教分離原則としては、古典的な
>公法・私法の峻別理論に基づく法体系に従い、規範の名宛人を国家として国家に
>対する制約の形を採ったわけです。
>そして、同時にそれは、私人の自由を確保する事にも通じたのでした。
>しかし、そもそも政教分離原則を生み出す基となっている状況を考えますと、この自由
>の確保も国家(権力)と結託しようとする自由を保障しようとするものではありません。
>あくまでも、宗教が国家と結託する事から生ずる信教その他に対する抑圧・弾圧に
>対する自由なのです。
>法的制約・規制としては、国家の側のみに対して規定すれば一応それで足ると考えられ
>ますが、法的規範の部分を除いた社会的な規範としては、その結託を図る宗教の側をも
>当然その射程に捕らえなければ不自然であり、私人こそがその名宛人とならなければ
>無意味なのです。
>

>552 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2005/09/02(金) 08:26:13 ID:???
>要は、その歴史的背景などを考慮すれば、信教の自由を保障しようとする憲法上の
>政教分離原則も、根本的なところでは、その保障しようとする自由の中に国家と
>結託しようとする宗教の自由を認めるものではないと言う事なのです。
>ただ、それが“(憲)法”と言う形式・範疇で行われる限りにおいては、それを
>顕在的に規定する事は一面困難であり、また、国家の側を制約すれば足ると
>言うだけの事にすぎないと考えるべきものです。
>(ここで言う“国家との結託”とは、日本国憲法の規定する“「政治上の権力」行使”
>より幅広いものです。過去に行った言動に関して無反省で自己抑制することのない輩に
>対しては、認められる社会規範に基づき、こちらもそれに応じた対応をせざるを
>得ません。絶対的な強制力のない(法的規範を除外した)社会規範ではありますが、
>逆に言えば、社会的に許容される限り法的な制約も乗り越える事ができるものと
>考えられます。)

>571 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2005/09/03(土) 09:56:05 ID:???
>これまで述べた事で、憲法上の政教分離原則に関する記載そのものは直接的に
>判例や学説を参照しておりますが、前回述べたところである政教分離原則の背景
>としての政教分離に関しては、何か学説その他を“直接”参考としたものではなく、
>日頃私自身が考えているところをそのまま書いたものです。
>今までこれをこのようにまとまった形で外部に公表した事はなく、必ずしも用語を
>厳密に検討した上で書いたものではありません。
>“国家との結託”と言うような用語の使い方には、実は多少の問題も感じている
>のですが、直ちに最適な用語も思いつかずにおります。
>憲法20条1項にある「政治上の権力」なる用語も本当は使いたい所なのですが、
>しかし、この問題で憲法の用語として使われているものに通説・判例の認める
>範囲を越えた意味を込めて使う事には、誤解も生じやすいでしょうし…。
>ここら辺は、今後の課題として残しておきます。


※転載者注:
この「政教分離」の問題についてはアンチ側からは「憲法違反だ!」、学会員側からは「合憲だから何の問題もない!」という、
どちら側からの意見にも問題のある単純な非難のやりとりに終始してしまうケースがあります。

法律ヲタさんのご考察を転載させて頂きましたが、該当の2ch過去ログでは、他にも優れた内容の指摘や議論がいくつもなされていました。
しかしこうした一部のアンチによる適切な指摘は、創価学会批判者の間で必ずしも理解が広まってはいないのが現状だと思います。

そこに、学会員からの反論(そのほとんどは同じような内容ばかりなのですが)がやってくると、
アンチ側・創価側のどちらの意見にも問題のある感情的な非難のやりとりになってしまうのだと思います。

該当の2chスレでは、そのような類型的な学会側からの反論に対し、適切な指摘や問いかけもなされていました。
そのいくつかも以下に併せて転載し、紹介させて頂こうと思います。



【政教分離】創価学会と公明党2【政教一致】
>547 :499-500:2005/09/02(金) 08:00:05 ID:???
>541
> >あなた達は本当は政教分離問題などは関係なくて
> >公明党の組織的な成長が嫌なだけなんだろう?聴くまでもないか?
>
>私は個人的に公明党が成長するのが嫌というより恐いです。
>不安な気持ちが大きくなります。ただの感想ですが、、、
>
> >現行の法律で認められている以上、政教分離問題を
> >これ以上公明や創価を非難するためだけの道具として利用する
> >のはよしたまえ。
>
>創価学会と公明党の関係を政教一致だと言い、政教分離原則に
>反してるという感想を持つ人が多いと思います。
>では、その感想は正しいのか?間違っているのか?
>その為に政教分離ってなんだろうと考えることは良い事だと思います。
>首相が靖国神社に参拝すれば、政教分離に反してるんじゃないの?
>とか、、教育現場で宗教に関するようなテーマを教えようとしたら、
>政教分離に反してしまうんじゃないかとか、政教分離に関する話題は
>豊富にあるでしょう。このスレが創価学会と公明党に関してのスレだから
>創価学会と公明党の関係に対して政教分離の話しが出ているだけで、
>道具として利用しているわけではないでしょう。
>
>548 :499-500:2005/09/02(金) 08:00:51 ID:???
>541続き
> >公明・創価勢力に反対の立場であるなら、対抗できる政党なり
> >団体でも作るなりして公明党に勝る活動をしてみることが
> >民主主義で生きるあなた達のすべきことなのでは?
>
>確かに政治活動に意欲的な方等はこの様な行動を取るという方法もあるでしょう。
>私は公明党に投票しないという行動をとっています。他の人に
>これを押し付けたりするわけではないですし、わざわざ公明党に対抗するため
>だけに政党を作るべきだとも思いません。
>私が疑問に思っている、公明党が成長するのが恐いと思っている、そういった
>感想の大きな一つの原因になっているのは541さんがおっしゃっているように
>公明・創価勢力というひとくくりにする考えが一般的なのに、
>これは社会規範として許されるのか?ということです。
>まず、わかったことは欧米諸国を見ればここまで、政党と一体に表現される>宗教は無いし、あれば社会規範としては許されないということです。
>じゃあなぜ社会規範としては許されないのかということをみなさんに
>お聞きしているところです。
>507さんは民主主義の本義に反しているとおっしゃっています。
>私は本当に現行法で認められる状態なのか?
>もし認められるのであれば先進諸国と比較してそれはいいことなのか?
>ということを考えています。
>541さんは宗教と政治の関わり方にどのような考えをお持ちですか?
>


※転載者注:
以上に転載させて頂いた「499-500」さんの問いかけは、私たち一般の素人の抱く率直な不安や素朴な疑問と、
法律ヲタさんの示して下さった的確なご指摘や考察とを繋ぐ、架け橋ではないでしょうか。

このような観点から一つひとつの問題を丁寧に明らかにすることによって、
創価学会・公明党の抱える問題の根本的な部分も、浮き彫りになるように思います。

最後に、もう一つ法律ヲタさんのレスを転載しご紹介させて頂きます。



【政教分離】創価学会と公明党2【政教一致】
>573 :法律ヲタ ◆8PR9uxYCzw :2005/09/03(土) 10:00:40 ID:???
> >政教分離規定が憲法に挿入される背景となった事情をよくよく考えてみれば、
> >政教分離とは国家が宗教に介入することを
禁止するだけのものではなく、宗教が政治に介入
> >することも禁じているのだと理解しました。
>
>その通りです。
>ただ、繰り返しになりますが、憲法上の政教分離原則それ自体は、あくまでも
>「国家が宗教に介入することを禁止するだけのもの」であって、また、政教分離原則
>そのものの問題ではありませんが、憲法(の人権規定)全体としては「宗教が
>政治に介入すること」の少なくとも一部は、憲法は逆に間違いなく肯定している
>ものと思います。
>(「介入」と言う表現が多少気になるのですが、宗教団体による選挙の合法的な
>支援やその他政治的意思表示そのものは、基本的に合憲です。)
>
>憲法上の政教分離原則は信教の自由を護るための規定ですが、それを生み出した
>政教分離の歴史を考えれば、“政教分離”そのものは、信教の自由などを弾圧・抑圧
>しかねない“宗教と国家(権力)との癒着・結託”の自由を宗教(団体)に認めたもの
>ではないと言う話の筋です。
>
>従って、(憲法上の)政教分離原則とそれを生み出している政教分離自体は明確に
>区別する必要があります。
>創価・公明の関係を、“政教分離原則違反”“違憲”と言うことはできないのですが、
>“政教一致”“政教分離に反する”と表現する事自体には何の問題もありません。
>(ただ、そう主張するためには、先の表現を使えば“宗教(学会)と国家(権力)との
>癒着・結託”について実証的に論じなければなりませんが…。

----------


『(憲法上の)政教分離原則とそれを生み出している政教分離自体は明確に区別する必要があります』
とは、『政教分離』に絡めた創価学会批判が陥り易い過ちについての鋭いご指摘でしょう。

こうした点を踏まえ、創価学会・公明党の問題に対して考えていきたいと思っています。
皆さんよければご意見やご指摘、ご感想など宜しくお願い致します。m(__)m


2012/02/11 文字色、リンク等修正

“ソウカ”専用ザク

20081212214646
ザク創価仕様。この機体は巨大な御本尊の功徳によりパイロットは守られ、敵機には仏罰が当たるのだと喧伝された。

しかし現実には、シールドにペイントされた御本尊を傷付けまいとして、逆にザク本体に
被弾する学会員パイロットが後を絶たず、通常のザクよりむしろ損耗率は高かった。
また創価学会員整備士による整備の不良や手抜きも深刻であった。
彼らは御本尊の功徳を信じるあまり、通常の整備や点検を軽視していたと言われている。
創価学会員志願兵は総じて士気が高く、彼らが永遠の指導者と崇める
ダサック・イケダのもと一致団結して戦ったが、その熱意にも関わらず戦果は非常に小さかった。

彼らの組織した政治団体は、一年戦争を通じてザビ家と反ザビ家勢力を天秤にかけ、戦争末期は連邦政府にも接近して、
首尾よく戦後はジオン共和国の連立与党の一角を占めることに成功する。しかし市民からの尊敬は得られなかったようだ。

それでも創価学会員たちは、戦後“コンペイトウ”と改称された宇宙要塞ソロモンについて、
『この改称は終戦と世界平和に果たしたダサック・イケダ先生の功績を称えた名称であり、
直接的に名誉を称賛されることを先生が遠慮されたため、我々の政治団体である“コウメイトウ”をもじった“コンペイトウ”と
名付けてさりげなく功績が称えられることになったのだ。連邦政府はイケダ先生を高く評価している』などと頑なに信じている。
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